久保隆司が2011年に「ソマティック心理学」を書いた。そして、2014年には「ソマティック心理学協会」が出来た。
私たちが、竹内敏晴に出合ったのは1976年である。彼の書いた「ことばが劈かれるとき」が1975年に出版され、たくさんの人が集まった。
この頃、市川浩の「精神としての身体」が「ことばが劈かれるとき」とともに、社会的に注目された。
心身統合が日本において現代的な形で再認識された最初の頃のことだろう。
この頃、竹内敏晴のレッスンに参加しながら、まわりを見渡すと、野口体操、野口整体、橋本操体、エンカウンターグループ、ゲシュタルト・セラピーなどがあった。伝統的なものでは、座禅や気功、ヨガはもちろん行われていた。センサリー・アウェアネスなどは一部分が紹介されていた。
この中で野口体操は、竹内演劇研究所の週3回のレッスンの内、1回は野口体操だった。野口三千三は、竹内敏晴と一緒に教室を始めた。
私たちが竹内演劇研究所で野口に会うことができたのは何度かだけで、あとは弟子の池田潤子(後の池田自然体操)が毎回来るようになった。私は野口の下落合にあった、スペースに何度か通った。
野口三千三や竹内敏晴は、日本が第二次世界大戦(太平洋戦争)に敗戦し、それまで持っていた世界観が崩壊するのを体験した。
「今までのすべての体操を、そしてその体操をとおして生きるということを全部捨ててしまおう。他人がどう言ったとか、昔の人がどう言ったとか、そんなことはどうでもよい、とにかく自分に信じられることだけ、自分が確かめられることだけで再構築していこう。これこそ今から自分の生きる生き方だ、という確信が知らず知らずのうちに固まっていたのです。」(野口三千三「原初生命体としての人間」1972年)
竹内敏晴は、二十歳で敗戦を体験した。
「世界は変わってしまった。世界中の人々が、日本は負けたこと知っている。世界は次に向かって動いている。だのに、この目の前では人々が、昨日のまでのまんまのリズムで同じ生活を果たしている。これはなんだ。これは事実。間違いのない、手にとれる、鮮やかな。だが、同時にこれは、もう意味の失われた、架空の幻影に過ぎない。必死になって私は目の前に見える世界が崩壊し、二重うつしになってゆくのに耐えていた。ほんとうの世界とはいったい何か。これほど確実な目の前の事実、手にとれるものが、まったくにせものだというのは、どうしたらいいのか。」(竹内敏晴「レッスンする人」2010)
竹内さんは自分の古さを憎み、人と触れ合うことで自分を新しくすることを続け、日本人の内発性を生涯を通して探り続けた。
一方、村川治彦は、「ソマティックスにおいてはすべての技法の上位に西洋が発達させてきた『自由な探索』の原理があり、そのことが技法を学ぶ上で権威に盲従する危険性を防いている。特定の権威を否定し、『自由な探索』を原理とする姿勢は、アメリカにいるソマティックスの創設者の共通認識でもある。これは、ソマティックスのパイオニアの多くが、第二次世界大戦のホロコーストを直接的間接的に体験してきた人々であり、彼らは「共振する身体」が簡単に「狂信する身体」にすり変わることの恐ろしさを身に染みて知っている人々だからであろう。」と述べている。
これらの認識は、竹内敏晴や野口三千三にも共通するものであるが、日本は敗戦国であり、敗戦により「民主主義」がもたらされた違いがある。
野口三千三や竹内敏晴は「からだ」をとおして根底的に民主主義の内発性を探り続けたのであり、全体の中では特異な例である。今日、日本が本当に民主主義の国なのかどうか問われているような状況が生まれている。
彼らは個人として、自分の実践することだけを信じて、生涯を終えた。彼らは自分の実践を日本の伝統的な家元制のようなものにせず、技法としても、広めようとはしなかった。あくまで、個人の実践として「からだ」の自由な探索を行った。
村川治彦はさらに「ジョンソンは『感覚世界の体験に基づく真理は、個人ではなくコミュニティによって発見される。権威は対話を通して分かち合われた体験から生じるのであって、特定の個人だけが真理に到達できる権威を有するのではない。』ということこそ、ソマティックスの最も伝えようとしている中でも最も重要な原理の一つだと主張する」と述べている。
竹内敏晴や野口三千三の実践は、個人的なコミュニティでは細々と行われているが、現在のより広範な「ソマティック」の人たちの間では、名前だけは知られていても、内実が分からないという人がほとんどである。
ジョンソンが言うようなコミュニティにおいて、対話を通じて体験が共有されることから真理の権威が生じるということは、これからの私たちの課題であろう。
「ソマティック心理学」として現在紹介されているものは、今のところ西洋発(東洋由来のものも西洋を通している)のものばかりである。
これは東洋のものが実践中心的であるということもあるが、日本における個人としての在り方、民主主義の在り方の未熟なせいもあると思われる。
私たちの「竹内敏晴研究」は日本における先駆的な「からだ」=「ソマティック」の実践を、理論的にも何とか位置づけ、多くの人にこの先駆的試みを知ってもらいたいと思うものである。
私たちが、竹内敏晴に出合ったのは1976年である。彼の書いた「ことばが劈かれるとき」が1975年に出版され、たくさんの人が集まった。
この頃、市川浩の「精神としての身体」が「ことばが劈かれるとき」とともに、社会的に注目された。
心身統合が日本において現代的な形で再認識された最初の頃のことだろう。
この頃、竹内敏晴のレッスンに参加しながら、まわりを見渡すと、野口体操、野口整体、橋本操体、エンカウンターグループ、ゲシュタルト・セラピーなどがあった。伝統的なものでは、座禅や気功、ヨガはもちろん行われていた。センサリー・アウェアネスなどは一部分が紹介されていた。
この中で野口体操は、竹内演劇研究所の週3回のレッスンの内、1回は野口体操だった。野口三千三は、竹内敏晴と一緒に教室を始めた。
私たちが竹内演劇研究所で野口に会うことができたのは何度かだけで、あとは弟子の池田潤子(後の池田自然体操)が毎回来るようになった。私は野口の下落合にあった、スペースに何度か通った。
野口三千三や竹内敏晴は、日本が第二次世界大戦(太平洋戦争)に敗戦し、それまで持っていた世界観が崩壊するのを体験した。
「今までのすべての体操を、そしてその体操をとおして生きるということを全部捨ててしまおう。他人がどう言ったとか、昔の人がどう言ったとか、そんなことはどうでもよい、とにかく自分に信じられることだけ、自分が確かめられることだけで再構築していこう。これこそ今から自分の生きる生き方だ、という確信が知らず知らずのうちに固まっていたのです。」(野口三千三「原初生命体としての人間」1972年)
竹内敏晴は、二十歳で敗戦を体験した。
「世界は変わってしまった。世界中の人々が、日本は負けたこと知っている。世界は次に向かって動いている。だのに、この目の前では人々が、昨日のまでのまんまのリズムで同じ生活を果たしている。これはなんだ。これは事実。間違いのない、手にとれる、鮮やかな。だが、同時にこれは、もう意味の失われた、架空の幻影に過ぎない。必死になって私は目の前に見える世界が崩壊し、二重うつしになってゆくのに耐えていた。ほんとうの世界とはいったい何か。これほど確実な目の前の事実、手にとれるものが、まったくにせものだというのは、どうしたらいいのか。」(竹内敏晴「レッスンする人」2010)
竹内さんは自分の古さを憎み、人と触れ合うことで自分を新しくすることを続け、日本人の内発性を生涯を通して探り続けた。
一方、村川治彦は、「ソマティックスにおいてはすべての技法の上位に西洋が発達させてきた『自由な探索』の原理があり、そのことが技法を学ぶ上で権威に盲従する危険性を防いている。特定の権威を否定し、『自由な探索』を原理とする姿勢は、アメリカにいるソマティックスの創設者の共通認識でもある。これは、ソマティックスのパイオニアの多くが、第二次世界大戦のホロコーストを直接的間接的に体験してきた人々であり、彼らは「共振する身体」が簡単に「狂信する身体」にすり変わることの恐ろしさを身に染みて知っている人々だからであろう。」と述べている。
これらの認識は、竹内敏晴や野口三千三にも共通するものであるが、日本は敗戦国であり、敗戦により「民主主義」がもたらされた違いがある。
野口三千三や竹内敏晴は「からだ」をとおして根底的に民主主義の内発性を探り続けたのであり、全体の中では特異な例である。今日、日本が本当に民主主義の国なのかどうか問われているような状況が生まれている。
彼らは個人として、自分の実践することだけを信じて、生涯を終えた。彼らは自分の実践を日本の伝統的な家元制のようなものにせず、技法としても、広めようとはしなかった。あくまで、個人の実践として「からだ」の自由な探索を行った。
村川治彦はさらに「ジョンソンは『感覚世界の体験に基づく真理は、個人ではなくコミュニティによって発見される。権威は対話を通して分かち合われた体験から生じるのであって、特定の個人だけが真理に到達できる権威を有するのではない。』ということこそ、ソマティックスの最も伝えようとしている中でも最も重要な原理の一つだと主張する」と述べている。
竹内敏晴や野口三千三の実践は、個人的なコミュニティでは細々と行われているが、現在のより広範な「ソマティック」の人たちの間では、名前だけは知られていても、内実が分からないという人がほとんどである。
ジョンソンが言うようなコミュニティにおいて、対話を通じて体験が共有されることから真理の権威が生じるということは、これからの私たちの課題であろう。
「ソマティック心理学」として現在紹介されているものは、今のところ西洋発(東洋由来のものも西洋を通している)のものばかりである。
これは東洋のものが実践中心的であるということもあるが、日本における個人としての在り方、民主主義の在り方の未熟なせいもあると思われる。
私たちの「竹内敏晴研究」は日本における先駆的な「からだ」=「ソマティック」の実践を、理論的にも何とか位置づけ、多くの人にこの先駆的試みを知ってもらいたいと思うものである。
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