脳科学の研究を調べることからいろいろなことが開かれた。
驚くようなさまざまなことがある中で、今回は、フランシスコ・ヴァレラの「エナクティブ・アプロ―チ」を取り上げる。
エナクティブとは、行為の中に認知が生まれる―身体としてある行為の認知―として知覚をとらえることである。
「われわれは、認知とは我々の知覚/認知能力から独立した世界を、その世界から独立して存在する認知認知システムによって表象することであるという認知科学に浸透している前提に疑問を投げかける。その代わり、『身体としてある行為』として認知をとらえる見方を紹介する。」
と、ヴァレラは「身体化された心」(1991/2001)の中で述べている。
「私にとって、たった一つはっきりしているのは、『からだ』ということだけだった。メルロ・ポンティの現象学によって目を開かされ、レッスンによって『ことばが劈かれる』と共に一気に現れた『からだ』。私は『からだ』としてここにいる。『からだ』が見、『からだ』が語り、『からだ』が働きかける。『主体としてのからだ』が、メルロ・ポンティによって目覚まされた私にとって最大のことであって、それは同時に客体でもあり、間主観性において生きる、多義的な存在である。私はたった一つ、それしか出発する地点をもっていなかった。」(「老いのイニシエーション」P31~32)
竹内敏晴の「からだ」は、そのままエナクティブアプローチである。
フランシスコ・ヴァレアはメルロ・ポンティの著作にヒントを得て、その研究を進めた。
「西欧の科学文化は、物理的身体観だけでなく生きられる身体観、つまり、『外側』と『内側』を合わせもつ、生物学的であると同時に現象学的な身体観にいたるべきだというメルロ・ポンティの考えにわれわれは賛成する。この身体としてあること(embodiedment)の両面が対立するものでないことは明らかだ。むしろ、われわれは絶えずこの両面を行きつ戻りつするのである。つまり、知識、認知、経験を身体化しなければならないことをみとめていた。」(「身体化された心」P13)
ヴァレアは思いがけないやり方でこの身体としてあることの二重性を主題化する。
「心の科学的研究の成果として、人間経験はいかなる課題に直面しているのか、・・・・・・
・・・ 自己ないし認知主体は根元的には断片化して分裂していて、統一されていないという認知科学が明らかにした事実に由来する。・・・・・・
・・・ 人類史上多くのコンテクストのなかで集められたかなりの証拠によると、経験そのものは秩序立てて検証しうるし、その手法も時間をかければ洗練されうることが示されている。ここで、われわれが取り上げるのは、…、もはや無視しえない伝統のなかに蓄積された経験、瞑想修行と実用的かつ哲理的研究から成る仏教の伝統である。・・・・・・ 、仏教の伝統が特にわれわれの関心に関連しているのは、後にみるように、統合されておらず中心のない認知存在(通常の用語は『無我』または『非自己』)という概念こそが仏教伝統全体の礎石だからである。さらにこの概念は、・・・
日常生活のおける経験が三昧の域に達している人々によると、直接経験そのものであるという。このような理由から、われわれは、西洋の認知科学と仏教の瞑想心理という二つの伝統の対話をはかることによって、科学の中のこころと経験の中の心との間に架け橋を渡そうと思うのである。」
(「身体化された心」P15~16)
ヴァレラはチリ生まれでハーバード大学で生物学の博士号を取る。1970年にチリにアジェンデ社会主義政権ができる。ヴァレラはチリに戻るが、1973年にピノチェットの軍事クーデターが起こり、アメリカに家族と共に亡命する。
この亡命中に、ヴァレラはチベット仏教の導師チャギャム・トゥルンパに出合い、瞑想を始める。その後ヴァレアはダライ・ラマ十四世と、「精神と生命」会議を始める。
「第一回の『精神と生命』会議は1986年に、認知科学と仏教の対話をテーマにし、ダライ・ラマ、ヴァレラに加え、認知科学、神経科学、神経生物学、人工知能、進化生物学の一流の専門家を招いておこなわれた。」(「瞑想する脳科学」永沢哲 p71)
この後毎年開かれる会議の中から、メルロ・ポンティの身体の両義性を発展させたヴァレラの「身体化された心」は生まれた。
ヴァレラは、所与の世界を認知するとする認知主義や進化における適応概念を、主体と客体が別々にあるものであると前提していることで、批判していく。
認知は、身体であることによる行為によって産出される。私たちが認知する世界は身体としてある行為ー構造カップリングから現れてくる。
さらに、ヴァレラは進化の適応が、最適の認知をもたらすものではないことを示した。進化は最適化でなくともいいのである。
「存続するのに十分な完全性を有する構造なら何でも受け入れるおおまかな生存フィルターとして選択が作用するのである。・・・
・・・複数の生存可能な軌道をその都度いかに取得選択すべきかという問題になるのである。」(「身体化された心」P278)
ここから、ヴァレラは産出された世界の「無根拠性」に入っていく。
「・・・ したがって、われわれ人間が身体としてある、われわれのカップリングの歴史を介して行為から産出される世界は、多くの可能な進化経路の一つのみを反映するのである。われわれは、みずから踏みしてきた道によっていつでも制約されているが、われわれのステップを規定する究極の根拠はどこにもない。」(「身体化された心」P303)
ここでヴァレラは大乗仏教のナーガールジュナ(竜樹)の「空」あるいは「無我」を持ち出してくる。
空は縁起から解釈される。
「・・・ ナーガールジュナの論点は、事物がどんなやり方でもそんざいしていないということでも、存在しているということでもない。事物は共依存的に発生する、つまり完全に無根拠なのである、ということなのだ。・・・
・・・ ナーガールジュナは、最後にこう結論する。『依存せずに生起されるものは何もない。ならば空でないものはなにもない』と。」
ヴァレラは、現代社会では無根拠性が発見されると、否定的に、理想を壊すものとみられがちであるとするが、「一方、中間派の伝統は、・・・。
・・・ 仏教徒の道で悟りに至るには、身体としてある状態にならなければならない。三昧、覚、空は抽象的な事柄ではない。三昧になるべきもの、覚醒すべきもの、空であることを悟るべきものがなければならないのである。」と述べている。
そして、ナーガールジュナの次のことばを紹介している。
「輪廻(日常世界)と涅槃(自由)の間にはいかなる区別もない。また、涅槃と輪廻の間にも区別はない。輪廻の範囲が涅槃の範囲である。この両者の間には何らの微細なる区別もない。(25章19-20)
一方竹内敏晴は、前にも述べたように演劇の分野で、それまで通用していたリアリズム演劇の崩壊を目にしていた。そして、代々木小劇場でさまざまな実験的試みを行っていた頃に、メルロ・ポンティの思想に出合い、「からだ」を見出していく。
竹内敏晴が自分の「ことばが劈かれる」体験を見直し、亡くなる直前に書いたものを以下に載せる。
「『ことば』に到着しようと無自覚にあがいていた『言語以前のからだ』が、声と一体化したとたん一気に顕在化した。生き始め存在し始めた、と言ってよいであろうか。それは固定化した『肉体』ではない。『見えないからだ』。動いている『いのち』―原義に従えば『い』は息、『ち』は勢いだから『息の勢い』―が『あちら』とひびきあい、この場が生きて動く。仏教で『一味平等』とはこの世界か、と思う。・・・
虚無感が消え、『ある』ことに圧倒された日(まだ無自覚であったのだが)以来、生きることは耐えることではなく、他人とふれあうことによってないかが生まれてくること、になった。ただし虚無がなくなったのではない。『ある』は実体ではない。『無』から生成する。『あなた』は虚無から立ち現れる。私が目覚めなければ、、「『ある』はない。むしろ、虚無あるいは意識を拡大して『空』が、初めてわたしに現れ始めたといってよい。」(「『出会う』ということ」P101~1002)
竹内敏晴がこれを書いたのは2009年である。私にレッスンによる変容が起こったのは、1980年前後である。
竹内敏晴の中に胚芽としてあったものが、私に種子としてまかれたのであろう。しかし、私はそれを大事に持ち、自分のものにするのに40年もかかってしまった。それも、竹内敏晴がその後「成熟して」ことばにしたことを介してである。
ヴァレラは、マルティン・ハイデガ―の「惑星思考」の呼びかけを紹介している。
「たとえ短い道であっても、その広がりに合わせた惑星思考を実践する努力を放棄しないようにわれわれは義務づけられている。参加者が今日決して同等でもない様々な出会いが惑星建設のために保存されていることを理解するのに、予言者の才能も振舞も要らない。このことは、ヨーロッパの言語でも、東アジアの言語でも同等にあてはまり、とりわけ両者の対話が可能である領域にあてはまる。両者のいずれも、それ単独でこの領域を広げて確立することはできない。」(「有の間へ」
マルティン・ハイデガー全集第9巻1955/1985)
竹内敏晴の営為は、ヨーロッパとアジアの徹底的、実践的な対話である。
その種子が私に蒔かれたと言っていいであろう。
驚くようなさまざまなことがある中で、今回は、フランシスコ・ヴァレラの「エナクティブ・アプロ―チ」を取り上げる。
エナクティブとは、行為の中に認知が生まれる―身体としてある行為の認知―として知覚をとらえることである。
「われわれは、認知とは我々の知覚/認知能力から独立した世界を、その世界から独立して存在する認知認知システムによって表象することであるという認知科学に浸透している前提に疑問を投げかける。その代わり、『身体としてある行為』として認知をとらえる見方を紹介する。」
と、ヴァレラは「身体化された心」(1991/2001)の中で述べている。
「私にとって、たった一つはっきりしているのは、『からだ』ということだけだった。メルロ・ポンティの現象学によって目を開かされ、レッスンによって『ことばが劈かれる』と共に一気に現れた『からだ』。私は『からだ』としてここにいる。『からだ』が見、『からだ』が語り、『からだ』が働きかける。『主体としてのからだ』が、メルロ・ポンティによって目覚まされた私にとって最大のことであって、それは同時に客体でもあり、間主観性において生きる、多義的な存在である。私はたった一つ、それしか出発する地点をもっていなかった。」(「老いのイニシエーション」P31~32)
竹内敏晴の「からだ」は、そのままエナクティブアプローチである。
フランシスコ・ヴァレアはメルロ・ポンティの著作にヒントを得て、その研究を進めた。
「西欧の科学文化は、物理的身体観だけでなく生きられる身体観、つまり、『外側』と『内側』を合わせもつ、生物学的であると同時に現象学的な身体観にいたるべきだというメルロ・ポンティの考えにわれわれは賛成する。この身体としてあること(embodiedment)の両面が対立するものでないことは明らかだ。むしろ、われわれは絶えずこの両面を行きつ戻りつするのである。つまり、知識、認知、経験を身体化しなければならないことをみとめていた。」(「身体化された心」P13)
ヴァレアは思いがけないやり方でこの身体としてあることの二重性を主題化する。
「心の科学的研究の成果として、人間経験はいかなる課題に直面しているのか、・・・・・・
・・・ 自己ないし認知主体は根元的には断片化して分裂していて、統一されていないという認知科学が明らかにした事実に由来する。・・・・・・
・・・ 人類史上多くのコンテクストのなかで集められたかなりの証拠によると、経験そのものは秩序立てて検証しうるし、その手法も時間をかければ洗練されうることが示されている。ここで、われわれが取り上げるのは、…、もはや無視しえない伝統のなかに蓄積された経験、瞑想修行と実用的かつ哲理的研究から成る仏教の伝統である。・・・・・・ 、仏教の伝統が特にわれわれの関心に関連しているのは、後にみるように、統合されておらず中心のない認知存在(通常の用語は『無我』または『非自己』)という概念こそが仏教伝統全体の礎石だからである。さらにこの概念は、・・・
日常生活のおける経験が三昧の域に達している人々によると、直接経験そのものであるという。このような理由から、われわれは、西洋の認知科学と仏教の瞑想心理という二つの伝統の対話をはかることによって、科学の中のこころと経験の中の心との間に架け橋を渡そうと思うのである。」
(「身体化された心」P15~16)
ヴァレラはチリ生まれでハーバード大学で生物学の博士号を取る。1970年にチリにアジェンデ社会主義政権ができる。ヴァレラはチリに戻るが、1973年にピノチェットの軍事クーデターが起こり、アメリカに家族と共に亡命する。
この亡命中に、ヴァレラはチベット仏教の導師チャギャム・トゥルンパに出合い、瞑想を始める。その後ヴァレアはダライ・ラマ十四世と、「精神と生命」会議を始める。
「第一回の『精神と生命』会議は1986年に、認知科学と仏教の対話をテーマにし、ダライ・ラマ、ヴァレラに加え、認知科学、神経科学、神経生物学、人工知能、進化生物学の一流の専門家を招いておこなわれた。」(「瞑想する脳科学」永沢哲 p71)
この後毎年開かれる会議の中から、メルロ・ポンティの身体の両義性を発展させたヴァレラの「身体化された心」は生まれた。
ヴァレラは、所与の世界を認知するとする認知主義や進化における適応概念を、主体と客体が別々にあるものであると前提していることで、批判していく。
認知は、身体であることによる行為によって産出される。私たちが認知する世界は身体としてある行為ー構造カップリングから現れてくる。
さらに、ヴァレラは進化の適応が、最適の認知をもたらすものではないことを示した。進化は最適化でなくともいいのである。
「存続するのに十分な完全性を有する構造なら何でも受け入れるおおまかな生存フィルターとして選択が作用するのである。・・・
・・・複数の生存可能な軌道をその都度いかに取得選択すべきかという問題になるのである。」(「身体化された心」P278)
ここから、ヴァレラは産出された世界の「無根拠性」に入っていく。
「・・・ したがって、われわれ人間が身体としてある、われわれのカップリングの歴史を介して行為から産出される世界は、多くの可能な進化経路の一つのみを反映するのである。われわれは、みずから踏みしてきた道によっていつでも制約されているが、われわれのステップを規定する究極の根拠はどこにもない。」(「身体化された心」P303)
ここでヴァレラは大乗仏教のナーガールジュナ(竜樹)の「空」あるいは「無我」を持ち出してくる。
空は縁起から解釈される。
「・・・ ナーガールジュナの論点は、事物がどんなやり方でもそんざいしていないということでも、存在しているということでもない。事物は共依存的に発生する、つまり完全に無根拠なのである、ということなのだ。・・・
・・・ ナーガールジュナは、最後にこう結論する。『依存せずに生起されるものは何もない。ならば空でないものはなにもない』と。」
ヴァレラは、現代社会では無根拠性が発見されると、否定的に、理想を壊すものとみられがちであるとするが、「一方、中間派の伝統は、・・・。
・・・ 仏教徒の道で悟りに至るには、身体としてある状態にならなければならない。三昧、覚、空は抽象的な事柄ではない。三昧になるべきもの、覚醒すべきもの、空であることを悟るべきものがなければならないのである。」と述べている。
そして、ナーガールジュナの次のことばを紹介している。
「輪廻(日常世界)と涅槃(自由)の間にはいかなる区別もない。また、涅槃と輪廻の間にも区別はない。輪廻の範囲が涅槃の範囲である。この両者の間には何らの微細なる区別もない。(25章19-20)
一方竹内敏晴は、前にも述べたように演劇の分野で、それまで通用していたリアリズム演劇の崩壊を目にしていた。そして、代々木小劇場でさまざまな実験的試みを行っていた頃に、メルロ・ポンティの思想に出合い、「からだ」を見出していく。
竹内敏晴が自分の「ことばが劈かれる」体験を見直し、亡くなる直前に書いたものを以下に載せる。
「『ことば』に到着しようと無自覚にあがいていた『言語以前のからだ』が、声と一体化したとたん一気に顕在化した。生き始め存在し始めた、と言ってよいであろうか。それは固定化した『肉体』ではない。『見えないからだ』。動いている『いのち』―原義に従えば『い』は息、『ち』は勢いだから『息の勢い』―が『あちら』とひびきあい、この場が生きて動く。仏教で『一味平等』とはこの世界か、と思う。・・・
虚無感が消え、『ある』ことに圧倒された日(まだ無自覚であったのだが)以来、生きることは耐えることではなく、他人とふれあうことによってないかが生まれてくること、になった。ただし虚無がなくなったのではない。『ある』は実体ではない。『無』から生成する。『あなた』は虚無から立ち現れる。私が目覚めなければ、、「『ある』はない。むしろ、虚無あるいは意識を拡大して『空』が、初めてわたしに現れ始めたといってよい。」(「『出会う』ということ」P101~1002)
竹内敏晴がこれを書いたのは2009年である。私にレッスンによる変容が起こったのは、1980年前後である。
竹内敏晴の中に胚芽としてあったものが、私に種子としてまかれたのであろう。しかし、私はそれを大事に持ち、自分のものにするのに40年もかかってしまった。それも、竹内敏晴がその後「成熟して」ことばにしたことを介してである。
ヴァレラは、マルティン・ハイデガ―の「惑星思考」の呼びかけを紹介している。
「たとえ短い道であっても、その広がりに合わせた惑星思考を実践する努力を放棄しないようにわれわれは義務づけられている。参加者が今日決して同等でもない様々な出会いが惑星建設のために保存されていることを理解するのに、予言者の才能も振舞も要らない。このことは、ヨーロッパの言語でも、東アジアの言語でも同等にあてはまり、とりわけ両者の対話が可能である領域にあてはまる。両者のいずれも、それ単独でこの領域を広げて確立することはできない。」(「有の間へ」
マルティン・ハイデガー全集第9巻1955/1985)
竹内敏晴の営為は、ヨーロッパとアジアの徹底的、実践的な対話である。
その種子が私に蒔かれたと言っていいであろう。
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「もろはのつるぎ」
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