1964年ぶどうの会は解散する。竹内敏晴は翌年代々木小劇場参加する。
「・・・ ぶどうの会の終わりごろからの私の課題は、・・・近代的なリアリズムの演劇、特に演技を、どのように批判し、超えたらいいか、ということであった。・・・・・・
・・・ことばが伝わるものだと信じていられる間はまだごまかしもきいた。・・・・・・
・・・リアリズムを成り立たせてきた『客観的な』な『性格』などというものは、霧の中にまぎれてしまう。『近代の崩壊』は目の前の事実そのものとして私たちを渦に巻きこんでしまっていた。(「ことばが劈かれるとき」P95~95)
この頃竹内敏晴はメルロ・ポンティの「知覚の現象学」にふれる。同じ頃野口三千三の野口体操に新しい意味を見出す。
「メルロ・ポンティは、・・・ 普通、意識の領域だと考えられていることさえ無意識のからだの働きによって土台づけられていることを証明する。・・・・・・
・・・ からだ全体が一つの構図を持っており、その地図の中の地点は、はじめからからだによって所有されており、からだはまっすぐそこへ向かうのだ。・・・
これが、私の思考に決定的な進路を開いた。私は、人間にとって意識が優先していないこと、からだは野口流に言えば『まるごと一つ』であること知り始めた。」(「ことばが劈かれるとき」P103)
「・・・ 野口さんの考察は、メルロ・ポンティの理論と私のからだの中で融合し、ふくれあがっていき、新しい芽を出していった。それは一言で言うと、主体としてのからだの発見と言えるだろう。
野口さんの体操は、・・・ 、『主体』としての、心=からだ一元の『内からの』とらえかたである。メルロ・ポンティのことばを借りれば『内から存在すること、それから知覚すること』であって、『自然的自我=自己の発見』ということになるだろう。
『からだ』とは、意識(精神)に指揮使役される肉体ということではない。からだとは世界内存在としての自己そのもの、一個の人間全体であり、意識とはからだ全体の働きの一部の謂いにすぎない。からだとは行動する主体であり、同時に働きかけれられる客体である両義的な存在である。心とか精神とかを肉体を分けて考える二元論は、批判され、超えられねばならぬ。」(「ことばが劈かれるとき」P108~ 109)
主体としての「からだ」の発見である。
同じ頃アメリカでは、トーマス・ハンナが、ギリシャ語の「ソーマ(soma)」を新しく定義し直した。
「ソーマ(身体、からだ)は肉体を意味しない。それは私であり、身体として生きているものである。ソーマ(からだ)はあなたやわたしであり、常に生きることを求め、さらにより豊かに求める」 (Thomas Hanna「Bodies in Revolt 1970」)
これがソマティクス(Somatic)という新しい呼称を産み出した。
村川治彦は、「ハンナは客体としての身体と主体としての『からだ』の違いを『人間が外側から、すなわち三人称の観点から観察された時、人間の身体(body)という現象が知覚される。しかし、この同じ人間がみずからの固有知覚(proprioceptive sense)という一人称の観点から観察される時、カテゴリーとして異なる現象、すなわち人間の『からだ』(soma)が知覚される」と表現し、ソマティックスは、「一人称の知覚で内側から捉えた身体としての『からだ』(sooma)を探求する分野」であると定義した述べている。(人間性心理学研究第21巻1号)
一人称の主体としての「からだ」の世界的な拡がりである。
さて、この後竹内敏晴は、「ことばが劈かれる」体験を迎える。
この竹内敏晴の人生最大の出来事は、「ことばが劈かれるとき」、「老いのイニシエーション」、「『出会う』ということ」で、それぞれ異なって語られている。
これらについてはいずれ詳しく検討したい。
ここでは、「からだ」の発見の現在と未来への射程の広がりについて述べたい。
ケン・ウィルバーへの関心にいざなわれて、久保隆司の「ソマティック心理学」を読んだ。
読んでみて、私は興奮した。
私は長年からだとことばのレッスンを学問的な伝統に位置づけたいと思い続けていたが、それが日本において可能かもしれないと直感したからだった。
久保は欧米のソマティックサイコロジーを、その歴史的流れと共にその概要を紹介している。これらを参考にすれば、竹内敏晴の仕事も、学問的に取り組めるかもしれないと思った。
特に、久保が「ソマティック心理学の科学的基盤(リソース)」として、脳科学、脳神経学の現代までの成果を取り上げていることに注意をひかれた。
そこで紹介されている脳科学者の研究はとても面白い。M.S.ガザニガ、A.Rダマジオ、J.ルドゥーらの本を夢中で読んだ。
そこで私は思い出した。私は竹内敏晴と出会う前、東京都老人総合研究所言語聴覚研究室で、脳の研究をしていたことを。この頃出来たばかりのパーソナル・コンピューターで合成音を作り、母音や子音がどちらの脳の半球で処理されるかということを研究していたのだ。1972年から1978年まで。
老人研を辞める時、私は裏街道に入ったような気がした。そして、そこは広々しているように見えた。そして、竹内敏晴はその頃、それと交差するように初めてきちんと給料がもらえるような職業についた。そして、長い時間をかけて社会人になっていった。
私は、ある時期の竹内敏晴の影響を強く受けて、何とも表現しにくい世界に生きていた。
しかし、ここに来て、私が実践的にやっていたことは、それまで老人研でやっていたことを別の角度からやっていただけなのだと、思い到った。
脳科学の発展は凄まじい。私がやっていたころから40年の時間が経っている。
脳の科学的研究は、「からだ」として実践的にやってきたことを考えるのに、科学的な基盤を与える。
しかし、人間の「意識・経験」をどのように捉えるか、現象学的心理学の研究と共に緒についたばかりである。
「・・・ ぶどうの会の終わりごろからの私の課題は、・・・近代的なリアリズムの演劇、特に演技を、どのように批判し、超えたらいいか、ということであった。・・・・・・
・・・ことばが伝わるものだと信じていられる間はまだごまかしもきいた。・・・・・・
・・・リアリズムを成り立たせてきた『客観的な』な『性格』などというものは、霧の中にまぎれてしまう。『近代の崩壊』は目の前の事実そのものとして私たちを渦に巻きこんでしまっていた。(「ことばが劈かれるとき」P95~95)
この頃竹内敏晴はメルロ・ポンティの「知覚の現象学」にふれる。同じ頃野口三千三の野口体操に新しい意味を見出す。
「メルロ・ポンティは、・・・ 普通、意識の領域だと考えられていることさえ無意識のからだの働きによって土台づけられていることを証明する。・・・・・・
・・・ からだ全体が一つの構図を持っており、その地図の中の地点は、はじめからからだによって所有されており、からだはまっすぐそこへ向かうのだ。・・・
これが、私の思考に決定的な進路を開いた。私は、人間にとって意識が優先していないこと、からだは野口流に言えば『まるごと一つ』であること知り始めた。」(「ことばが劈かれるとき」P103)
「・・・ 野口さんの考察は、メルロ・ポンティの理論と私のからだの中で融合し、ふくれあがっていき、新しい芽を出していった。それは一言で言うと、主体としてのからだの発見と言えるだろう。
野口さんの体操は、・・・ 、『主体』としての、心=からだ一元の『内からの』とらえかたである。メルロ・ポンティのことばを借りれば『内から存在すること、それから知覚すること』であって、『自然的自我=自己の発見』ということになるだろう。
『からだ』とは、意識(精神)に指揮使役される肉体ということではない。からだとは世界内存在としての自己そのもの、一個の人間全体であり、意識とはからだ全体の働きの一部の謂いにすぎない。からだとは行動する主体であり、同時に働きかけれられる客体である両義的な存在である。心とか精神とかを肉体を分けて考える二元論は、批判され、超えられねばならぬ。」(「ことばが劈かれるとき」P108~ 109)
主体としての「からだ」の発見である。
同じ頃アメリカでは、トーマス・ハンナが、ギリシャ語の「ソーマ(soma)」を新しく定義し直した。
「ソーマ(身体、からだ)は肉体を意味しない。それは私であり、身体として生きているものである。ソーマ(からだ)はあなたやわたしであり、常に生きることを求め、さらにより豊かに求める」 (Thomas Hanna「Bodies in Revolt 1970」)
これがソマティクス(Somatic)という新しい呼称を産み出した。
村川治彦は、「ハンナは客体としての身体と主体としての『からだ』の違いを『人間が外側から、すなわち三人称の観点から観察された時、人間の身体(body)という現象が知覚される。しかし、この同じ人間がみずからの固有知覚(proprioceptive sense)という一人称の観点から観察される時、カテゴリーとして異なる現象、すなわち人間の『からだ』(soma)が知覚される」と表現し、ソマティックスは、「一人称の知覚で内側から捉えた身体としての『からだ』(sooma)を探求する分野」であると定義した述べている。(人間性心理学研究第21巻1号)
一人称の主体としての「からだ」の世界的な拡がりである。
さて、この後竹内敏晴は、「ことばが劈かれる」体験を迎える。
この竹内敏晴の人生最大の出来事は、「ことばが劈かれるとき」、「老いのイニシエーション」、「『出会う』ということ」で、それぞれ異なって語られている。
これらについてはいずれ詳しく検討したい。
ここでは、「からだ」の発見の現在と未来への射程の広がりについて述べたい。
ケン・ウィルバーへの関心にいざなわれて、久保隆司の「ソマティック心理学」を読んだ。
読んでみて、私は興奮した。
私は長年からだとことばのレッスンを学問的な伝統に位置づけたいと思い続けていたが、それが日本において可能かもしれないと直感したからだった。
久保は欧米のソマティックサイコロジーを、その歴史的流れと共にその概要を紹介している。これらを参考にすれば、竹内敏晴の仕事も、学問的に取り組めるかもしれないと思った。
特に、久保が「ソマティック心理学の科学的基盤(リソース)」として、脳科学、脳神経学の現代までの成果を取り上げていることに注意をひかれた。
そこで紹介されている脳科学者の研究はとても面白い。M.S.ガザニガ、A.Rダマジオ、J.ルドゥーらの本を夢中で読んだ。
そこで私は思い出した。私は竹内敏晴と出会う前、東京都老人総合研究所言語聴覚研究室で、脳の研究をしていたことを。この頃出来たばかりのパーソナル・コンピューターで合成音を作り、母音や子音がどちらの脳の半球で処理されるかということを研究していたのだ。1972年から1978年まで。
老人研を辞める時、私は裏街道に入ったような気がした。そして、そこは広々しているように見えた。そして、竹内敏晴はその頃、それと交差するように初めてきちんと給料がもらえるような職業についた。そして、長い時間をかけて社会人になっていった。
私は、ある時期の竹内敏晴の影響を強く受けて、何とも表現しにくい世界に生きていた。
しかし、ここに来て、私が実践的にやっていたことは、それまで老人研でやっていたことを別の角度からやっていただけなのだと、思い到った。
脳科学の発展は凄まじい。私がやっていたころから40年の時間が経っている。
脳の科学的研究は、「からだ」として実践的にやってきたことを考えるのに、科学的な基盤を与える。
しかし、人間の「意識・経験」をどのように捉えるか、現象学的心理学の研究と共に緒についたばかりである。
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