竹内敏晴とケン・ウィルバー

 「私は何故こんなにも竹内敏晴にこだわり続けるのだろう? 6 竹内演劇研究所解散以来の私の歩み」を、別の角度から見直し、展開してみよう。

 私は何をしていたのか?

 竹内敏晴とのレッスンで起こったことを抱えて、世界中を右往左往していた。竹内敏晴とその時点で相談・議論ができないことは、本能的に知っていた。私が書いたものにも何の反応がなかった。

 「愛している」と勝手に思っていた元の連れ合いのことを考えるよりも、自分のからだの状態に気をつけることよりも、竹内敏晴とのレッスンで起こったことが何であるかということを明らかにすることが、私の第一関心事だったのだ。

 精神科看護の外口玉子(さん)から、一緒に仕事やらないかと言われたが、加われなかった。
 竹内敏晴からは大学の教員にならなかという誘いがあったが、断った。レッスンに参加した人から教育学部の非常勤講師にならないと言われたが、これも断った。(これは、今は後悔している。)

 学習障害児とその親たちとのレッスンで、わずか一年間月に一回のレッスンで、子どもたちはとても大きな変化を見せた。これは続ければ、社会的にも大きな意味を持ったであろう。

 肝心の「からだとことば研究所」でのレッスンも、途中で中断してしまった。

 アメリカに行って、「からだとことばのレッスン」を何とか学問的伝統に繋げたいという試みは、二度にわたって失敗した。

 これらの私を奥底で動かしているものは、何なのだろう?

 私は50歳代を丸々母と末弟の介護に費やし、東京に戻った。この間は私は全くレッスンをしなかったが、レッスンのことを忘れたことはなかった。

 ほぼ20年ぶりに竹内敏晴と連絡をとった。そして、「ソウル・メイキングとしてのからだとことばのレッスンー竹内敏晴との「対話」への試み」という文章(アマゾン電子書籍)を書いて、竹内に送った。
 しかし、しばらくして竹内敏晴に癌が見つかり、亡くなる直前に短い手紙をもらった。それには、昔の自分について書いたものであるとのコメントがあった。
 それはまさにその通りであろう。私は、その竹内敏晴との体験を消化するのに離れている時間が必要だったのだから。

 私はその間腎臓を壊し、人工透析をするようになった。週に1日しかレッスンが出来なくなった。

 2015年の秋に、竹内敏晴の「『出会う』ということ」を読んだ。2009年の出版時に本屋さんで見ていたのだが、最初だけ読んで「また、おなじようなことが書いてある。」と思い、購入しなかった。
 それを6年遅れで読んで、一気に「からだ」に息吹を吹き込まれたようになり、息苦しく感じるほど、からだが変わり、世界が変貌した。
 昔の竹内敏晴とレッスンしたときのようなからだが戻ってきたのだ。

 私はからだをいつの間にか「鈍らせ」ていた。竹内演劇研究所解散の頃、昔の仲間「からだ78~からだ’81」の人たちの中で、社会に戻るのに苦労したという人がいるという話を聞いて、レッスンで深く人に関わっていくことに制限を課した。
 クラスを週一回にして、芝居を辞めて、クラウンのレッスンに集中した。
 クラウンのレッスンでは、参加者が全部自分で決めてやっていくようにした。私は参加者が「開いて」いるかどうかだけを見ていて、参加者がやること支えていた。
 レッスンをやっているその時その場で私の感じていることを返すのではなく、ともかく参加者が自分の力でやるのを何とか支え、試行が終わった後で私の感じたことを返すようになった。
 これはこれで参加者が自分の責任で自分のやれることをやるという意味ではよかったと思う。

 しかし、私は自分のからだを結果的には鈍らせていた。それにもう少し長い目で見ると、「からだ78”~81”」の人たちの中で、自分の問題を出発点に、新しい場を創り出し、社会の中でそれまでなかったような新しい場を組織している人たちが出てきていた。

 死を意識した竹内敏晴は、「『出会う』ということ」の中で「からだとことばのレッスン」を考える上でたくさんの重要なてがかりを残してくれている。
 私のこれまで書いたものにも応えてくれている。

 私のからだは息を吹きかえした。そのことで、今やっているレッスンが出来なくなったのだろう。2016年の春には、からだとことば研究所でのレッスンを休止した。
 しかし、レッスンをやらないと私には他に何もない。自分が全く無力であると感じられた。
 そういう中で、ケン・ウィルバーの著作を読んだ。そして、一筋の光明を見出した。

 そして、竹内敏晴とのレッスンを見直す作業に入った。
 竹内敏晴とケン・ウィルバー、何という奇妙な組み合わせだろう。
 一方は、自分の聴覚言語障害から出発して、地を這う(地底を掘る)ように「からだ」を探求してきたもの。
 他方は、瞑想を長年実践しながら、「スピリチュアルな成長、心理的な成長、社会的成長など、人間が潜在的に持っている可能性について、それらすべての文化が教えることを一覧できるようにテーブルにのせてみたらどうなるだろうか?私たちに開かれた人間的な知識の総体を基礎に、人間の成長の鍵を見つけようとしてみたら、どうだろうか?」と問いかける統合的アプローチを提唱するもの。

 ともあれ、私は竹内敏晴とのレッスンを見直すにあたり、ケン・ウィルバーの「大きな枠組み」を必要とした。






 

コメント