今野哲男と言います。
1978年に竹内演劇研究所に入り、七期生として一年を過ごした後、修了後の二年ほどは研修科に所属する者として、二、三の芝居を通じて竹内さんの周辺をうろちょろしていました。その後、個人的事情があって一年ちょっとで研究所を離れ、80年代の半ばからは、編集者・ライターとして活動しています。
私は、「竹内レッスン」をそれほど経験したわけではありません。ですから、何かを語るには材料不足で、力も足りないと自分でも思ってきました。しかし、あまりに強烈な体験だったためでしょう、その後の編集者生活にも自分から進んで企画したり、他人から頼まれたりと多岐にわたる影響があり――そのほとんどは恩恵です――、2015年には『竹内敏晴』(言視舎評伝選)という伝記本を出すまでになりました。
その間、竹内さん本人とは2000年に20年ぶりに会い、その後は2009年9月に享年八十四歳で亡くなる直前まで、出版界を舞台にしたおつき合いが続きました――この9年のあいだの仕事の場での交流は、インタビュー本2冊(2007年『生きるためのレッスン』/2010年『レッスンする人』)と全4巻のシリーズ(『竹内敏晴セレクション 竹内敏晴の「からだ」と「思想」』)に収められています。
私は、まだ若いころ、1970年代末に自分のからだで接した「竹内レッスン」と、2000年以降に竹内さんから彼の「ことば」で聞いた「竹内レッスン」に、同じ本質に貫かれながらも、違う時代の潮流の影響を鋭敏に反映したそれぞれ微妙に異なるテイストがあることについて、少なからぬ興味を持っています。そのことが竹内敏晴という人間を語るのに必須だという、或る種の強い予見を持っているのです。予見は竹内さんが最も嫌ったものの一つであることもあり、実像を探る際には、それに影響されないように十分気をつけなければなりません。そうやって想定する実像を、たとえ仮説としてであっても提出することは、そう簡単なことではないでしょう。
そこで今回は、私が別の著者とのインタビューで、質問としてその人に向けてみた、竹内さんの演出した芝居で私が役者として得た体験を語った文章を掲げます。その人はその質問を彼なりにかみ砕いて応えてくれましたのですが、私はこれを「竹内レッスン」の体験を語ったものだという十分な自信がないのです。三好さん、瀬戸嶋さん、八木さんはどうお感じになるでしょうか。できたら教えてもらえればと思います。
因みに、応えてくれたのは精神分析医の木村敏さん。インタビューは『臨床哲学の知』という題名で本になったものです(2008年、洋泉社/2017年、言視舎)。
小さな憑依体験
――若いころに演劇をしていました。そのときの経験ですが、役者として演技に集中しているときに、何度か日常の自己が解体するような感覚に襲われたことがあります。オレはオレであるという統合感覚が舞台上でいったんご破算になり、剥き出しになった身体感覚が、バラバラに、しかも一斉に襲ってくるというような感じです。例えば、自分が自分の足に支えられている不安とか、手が前に伸びるときの相手に向かっていく勢いとか、あるいは否応なくここにいる感じとでもいいますか、ある種の肯定的な諦めというと妙ですが、能動的でも受動的でもない不思議な浮遊感や、そこから生じるスピード感のようなものを感じました。
日常生活では、バラバラなものが一斉に押し寄せ、そのすべてに自覚的であるとしたら、不自由になるのがオチだと思います。しかし、そのときは場に身をあずけることに精一杯で、不自由な感じはありませんでした。台本や演出にとらわれているにもかかわらず、なぜそんな自由がやってきたのか、考えてみると不思議です。
今日は、先生のおっしゃる「自己」や「あいだ」といった問題を理解する糸口として、とりあえずこの体験から話をはじめられないだろうかと思っています。ぼくが舞台で感じた感覚は、意志の力で役柄になり変わったからではなく、それとは別のなにか、未知の自分とでもいうべきものにずれていくことによって生じました。小さな憑依体験の入り口に立って、変身ではなく、解体を味わっていたような気がするのです。
その結果として現われ出た「自己」、これは舞台という場所でたまたま可能になった、予測不能の、しかも変転極まりないものです。しかし、そこでしかあり得なかったという意味では、「自己」が「あいだ」にしかあり得ないということと、なにか通じるところがあると思うのです。
木村 ラカンのいう鏡像段階以前の、生まれたばかりの赤ん坊が、もし反省的な意識を持っていたら、きっとそういう体験を語ってくれると思います。そういう意味で、それは人と人との「あいだ」にある自己の原体験といってもいい。『あいだ』という本の中で、複数の人が同時に演奏するアンサンブル、つまり合奏についていろいろ書きました。いまのお話は、わたしのその体験とどこかで重なってくるところがあるような気がします。学生時代の合奏体験は、わたしの「あいだ論」と「自己論」の原点のひとつです。わたしは演劇にはまるで無知でほとんど話ができないので、合奏の話で進めてみましょう。 (以下、省略)
今野 哲男 様
返信削除ありがとうございます。投稿、興味深く拝見しました。
「同じ本質に貫かれながらも、違う時代の潮流の影響を鋭敏に反映したそれぞれ微妙に異なるテイストがあることについて」とのこと、私も同感です。竹内のレッスンは、時代の変化の中を真っすぐに貫いて歩いていったという印象があります。竹内が東京を離れた後のことですが、ライヒ館での月一回のレッスンの様子を事務所で窺っていると、「何も変わらない、けれども変わっている」というヘンテコな印象を持っていました。竹内が歩む道筋には風が舞う。その風によってその時々の時代の「いまここ」が露わになるのかもしれません。
「「竹内レッスン」の体験を語ったものだという十分な自信がないのです」については、竹内レッスン体験者の誰もが持つところのように思います。竹内レッスンでの体験は個々人特有のもので、誰かと共有して理解し合えるものではないのかもしれません。でも、だからこそ様々な人たちが、自らの竹内体験をそのままに言葉にして、このブログに発信してくれることがとても大切になることと思っています。もしかしたらそこに、竹内敏晴を超えて「出会い」の本質が浮かび上がって来るかも知れません。また、そこに集められた記事を、人間に対する深い洞察を持っている木村敏さんのような専門家の方に見ていただいて、意見を頂くことも竹内敏晴研究の深さと広がりとを生み出していくことにつながることでしょう。アゴラ(広場)ですね!
今野さんの投稿を拝見し、私の中のよどみが攪拌されて、いろいろ思いが浮かび上がってきますがが、今はここまでとさせていただきます。
どうぞこれからもよろしくお願いします。
瀬戸嶋 充・ばん
有難うございます。次は瀬戸嶋さんのことばに加え、三好さんからの返信も念頭において、「出会い」と「仮面」について、書いて(考えて)みようと思います。
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