自と他は同一系の項としてある 3

 私の疑いは、竹内敏晴さんが自と他が未分化なまま融合した状態でレッスンをやっていたのではないかということだ。

 それを、竹内さんは「老いのイニシエーション」で自ら明らかにしている。
  
 これは凄まじい書である。竹内敏晴の60歳を過ぎての変貌が語られている。ここから新しく出発し直おしている。それについては改めて別に考察する。ここでは、自と他の融合について必要なことだけを示す。

 この書の「エピローグーヨナの目覚め―始まりの書」から引用する。

 「ここまで原稿を書き終えて私は筆を置いた。私はで、ろくに口も利かなかった。ここ十年間『めくら滅法』 に歩いてきたこと、しゃにむに、とにかくことばにした。・・・・・・
 ・・・-ただ、自分にこだわっていただけではないか。

 茫然としていた。すうっとなにかが抜け落ちて、冷たい風景の中に身が洗われるような気がした。・・・・・・ オノレがオノレの歩みを跡付け、オノレの意義を証明しようと躍起になるなんて。・・・
『我執』ということばが思い浮かんだ。・・・・・・
 言語障害の深さ広さに気づき、それを越えようと思い詰めてきた歩み方が、そのまま『我執』であり、閉じこもりだったとは、なんという『業』だろう。・・・・・・

 私は旧約聖書のヨナ記を思い出した。大魚の腹に長いこと閉じこめられていたヨナが、魚の口から陸を見たような、と私は感じた。
 他者とは、私とは無縁のもの、ふれようのないもの、のことだ、と私は初めて目を据えるようにして見た。他者とふれたい、つながりたい―これは障害者としての私の長い間の執念だった。それが私を閉じ込めていたのだ。」

 これが1995年の時点のことである。

 さらに、木田元さんとの対談「待つしかないか。20世紀の身体と哲学」において、メルロ・ホンティ
の「幼児の対人関係」に触れて次にようなことばがある。
 「木田・・・・・ 『幼児の対人関係』でも、自他の区別が行われる前に、自他の融合段階を想定しています。
 竹内 あれは本当に面白い。私は子どものこととしてじゃなくて、自分のこととして読みました。・・・
 木田 ・・・・・・いったん分離した自他がもう一度結合しようとする。そういうかたちで言語の問題を考えていこうとしたんだろうと。
 竹内 いま言われてはっきりしました。一遍、分離するわけですね。・・・・・・
 私のようにしゃべれなかったのにしゃべれるようにしゃべれるようになった人間にとっては非常にはっきりしていますが、自然に何かが劈かれてことばが言えるようになるわけではない。しゃべるということはある時期獲得した形式であって、他者に対する自分の存在の仕方がすっかり変わる。新しい存在の形式がうまれる。」

 この対談は2002年に行われている。

 私の竹内さんとのレッスンは1983年には終わっている。それは明らかに自と他が融合した状態で行われている。
 私は竹内さんと離れていることが必要であった。そして、今、竹内さんと私を区別する作業をやっと始めたばかりだ。

 
 

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