竹内敏晴の聴覚言語障害はどのようなものであったのか? 3 「言語獲得」と「他者」と関わること 

 竹内敏晴の苦悩は深まる。

 「恐らく、と私は考え込む。『からだ』から発し『からだ』と一つになって他者に呼びかける『からだのことば』―たしかにこれを、私は『ことばが劈かれるとき」に発見した―だけでは、人間のことばとしては未成熟なのだ、と。制度としての言語体系の語彙が不足などと言ってるわけではない。そこでは話しことばは、全身で他人に働きかける行為の音声的部分に過ぎない。それが、言語機能のうちの『呼びかけ』に相当するとすれば、『表現』のぶつかり合い、交流と対話が「ことばのからだ」を形成しえたとき、ことばははじめて、対話へと歩み出すことができ、文脈と論理を持ち、からだから自立しつつからだと深く結合する全き人間のことばに成長し始めるのだろう、と。
 だが、私はすぐに不安になる。では、言語にいわゆる障害のあるもの、「ことばのからだ」を獲得し切れぬものは、ついに『人間』ではないのか。障害をもつものが人間であるとはどういうことのなるのか、と。」

 「『ことばが劈かれた』体験の後、私はどうにか話しことばを回復あるいは獲得したと思い込んでいた。言語障害を克服して健常者の群れに入ったつもりになっていたということだ。周囲からもそう見られていたと思う。だが、私が、笙子との会話に詰まりながら、次第に気が付いて来たことは、私はただ、自分の身内に動くもの―それをイメージと呼んでもいいが―を、どうやらことばにして他人に手渡すことができるようになって来ただけだ、ということだった。
 閉ざされたからだの深みからなんとかことばを自己の表現として紡ぎ出そうとする努力は、私のことばにリアリティを与えはしたが、気が付いてみれば、それは『語る』ことではあっても、人と人、他者と私が『ことばを交わすこと』、『対話』することとは、はるかに遠い状態だった。からだが弾むレッスンの場では、私のことばはしばしば生き生きと事柄を刺し、カリカチュアライズし、笑いを爆発させる。けれども人と人との対話ということを、ことばとことばとをユーモアと真剣さを交えつつやりとりし、理解し問いつめ対立し共感するという交流の中で自他の思惟が成長していく、というプロセスとして思い描いたとき、私はほとんど絶望した。私にはその基盤がない。言語の障害とは、かくも根深く、かつ広い。言語の獲得が、真に『他者』と関わること、関わることにおいて人間になって行くことと、これほどまでにも根底的につながっているのだとすれば、私にはもはや道を絶たれている、というほかないのだろうか。」

 「老いのイニシエーション」は、竹内敏晴と笙子が一旦手渡した生まれたばかりのあかごを、取り戻しに行く場面から始まっている。

 「私たちはそれぞれの過去を持っており、私は一人の男として一人の女にまともに向かいあい、二人だけの生活を、愛という名に値する何かを築いてゆくためには、ぎくしゃくするものを自分の中に抱えこんでいることを自覚していたから、それに全力を傾けることと、子どもを育てることに費やすエネルギーとを両立させる自信がなかった。
 だが、私たちは三週間後に、子どもを渡した家への坂道を上がっていた。なにかが私たちを呼んだのだ。たぶんそれは赤んぼう自身の力だったのだろう。」

 この赤ん坊を一時的にせよ手放した理由については、引用していて「嫌な」気持ちが生じるが、この子が、竹内敏晴の「言語獲得」に重要な「役割」をする。
 
 ゆりを育てることで、竹内敏晴は、子どもがどのようにことばを獲得していくのかを目のあたりにする。笙子とゆりとの会話から、ことばのやりとりを学んでいく。

 竹内敏晴は、「他我」の出現として、ある人との会話の場面を描き出している。

 「…ふと、私はなにかを聞きつけて耳をすませた。その人のことばが、私の肌にふれながら通りすぎていくのだ。目の前にいるあなた、私と向かいあい話しかけているそのあなたが、私を見ているのに見ないという感じが私を驚かせた。・・・・・・
 私は息を詰めてその人を見た。不思議な光景だった。しんから誠実に語りかけているはずのその人の肉が、みるみるうちになまなましさを失い透けるように消えていく。・・・・・・ 黒光りする皮で張った彫刻のように、顔がうごめいていた。黒い穴がぽかりと開き、こちらを見る。「意志」というものがそこにいる。一つの黒い身構えがきっちりと明確な射程のなにかを志向しつつ、浮かび上がってくる。・・・・・・  
 …一つの『ヨソモノ』がそこに立っていた。だがそのヨソモノのかたちを包んで大きく脈打ちながら、その内に流れ入り流れ出つつ巡る海の水のごときものが、私のからだをも溶かし込んで揺れている。
 ・・・・・・ 私は『自我』というものを『見た』ことがなかった。デカルト的観念はあっても、からだとことばのレッスンの中でほんとにからだが動き始める時、私はすでに私ではない、という体験を積み重ねて来た身にとっては、自己完結的で、他者を徹底して排除するところに成立する『自我』は確証しようがなかった。ただ、これが明確でないと、『責任』という問題が成り立たない。これが私の重荷だった。・・・ 私の目の前に立ち現れて来たものは、一つの身構えであり、一つの社会的な機能、と呼んでもよいものだった。・・・・・・ この身構えは『自我』と呼ぶには表層すぎる意識だろう。これを仮にペルソナあるいは「他我」と呼ぶか。だが、その手のつけられぬ堅固さを、私ははじめてまざまざと見る。」

 「『他我』を見た、と感じた体験の後かなりの間、私は人と立まじわる時、他人が、窓から私を見ているような感じに襲われた。人、人、人は四角い家の中にいて、私一人はむき出しの地平に立っている。私は響きあうからだとからだを求めているのに、息づかいやさしのべる手の波動は壁にぶつかってしまうし、窓からこちらを見る眼は優しさを伝えてくれるのだが、それは壁の向こうから投げ与えてくれるお恵みであって、近づこうとする私のあせりを冷静に拒んでいる。
 私は、『はだか』だ、と感じる。かつて聴覚言語障害者だった私は、もっと厚い壁のもっと小っちゃな穴からおそるおそる外を見ていた。」

                ******

 「ゆり、は別次元の生きものだ。ゆりは小鹿みたいに跳ねながら私の地平に現れる。私と遊ぶ。笑いも言葉も、すべてかの女のはずみ方、世界への私へのふれ方の一つの形にすぎない。それが突然立ち止まる。窓になって私を見る。ことばが射かけられてくる。『とうたん、また歯噛みした。言いたいことは言わなきゃダメだよ!』 あわてた私は、自分が壁になろうともぞもぞ身動きしかかっているのを感じる。ことばを受け止めはね返そうとする。途端にふっとゆりの壁は消えて、ぱっとあったかい流れがやってくる。『くたびれて、死んじゃうじゃんか!』 あっと思う時私の中から思いもかけない『ことば』が立ち上がってくる。『へーえ、とうたん、なかなかやるじゃん。』と、ゆりが言う。いや私自身が言っているのか。ゆりはもう次の問いかけで私を叩く。
 笙子ははるかにきつい。かの女の壁は屹立する、と私は感じる。かの女はことばを射かける。私が論理を正確に受け止めて答え返さないと、二の矢、三の矢が、ついに雨霞と飛んでくる。私のはだか身はまるで矢衾だ。だが、私はなんとか相対して射返した矢が窓に入った瞬間、壁は霞のように消えて、開いた地平に、裸のふたりが立っている。」

 ここから竹内敏晴は新しくことばをしゃべり出したのだろう。この後以降は「言語獲得」で苦しんだことを書いていないと思う。

 ここでは、竹内敏晴の「聴覚言語障害」に焦点を当てて書いた。必要なことはほとんど竹内敏晴自身が書いており、私が書くことはあまりない。
 
 あとがきで竹内敏晴は次のように述べている。

「他者とは、私とは無縁のもの、ふれようのないもの、のことだ、と私は初めて目を据えるようにして見た。他者とふれたい、つながりたい―これは障害者としての私の長い間の執念だった。それが私を閉じ込めていたのだ。」

 このことがはっきり書かれたことは、私にとって必要なことだった。

  





コメント