瀬戸嶋さん 投稿を拝読して


瀬戸嶋さま

色気だけでなく愛敬までが溢れ出すような、真に迫った語り口に押されて、面白く読ませてもらいました。わずかなレッスン体験しかない自分が、ほぼ「直観」だけで、いささか乱暴かつ単純に書いたことに、否応なくつきまとう隔靴掻痒の感を、豊かな経験の力でやさしくほぐしてもらったような思いです。
「熊」のエピソードもそうですが、とくに「みしらべ(身調べ)」(いい言葉ですね)に発する「内観」を体験なさった際に見た「二河白道(にがびゃくどう)」の図絵、さらにそれに絡めて己の思考を深めながら、あわせて竹内さんの人生を手短かにたどった語りには、竹内さんのものとも、瀬戸嶋さんのものとも知れない、まるでレッスンを受けているようなリアリティを感じました。
昨日、しばらくぶりで『ことばが劈かれるとき』をひらき、最後にある「からだそだて」の章を読みました。『評伝選 竹内敏晴』では触れていない(触れられなかった)箇所で、彼はレッスンに関して、創成期からすでに「二河白道」に類する遥かなパースペクティブを持っていたのだなと、今さらながら感じ入りました。
次回は、それに関した由なしごとを書こうかと思っています。

今野哲男


コメント

  1. 今野さん

    ありがとうございます。
    『経験は物語られることによって初めて経験へと転生を遂げる』とは、大きな言葉ですね。
    竹内敏晴は、今では私自身の「私という物語」の登場人物になってしまっているのかも知れません。
    「竹内敏晴研究」という看板を掲げてみたのですが、私は竹内レッスンの実践研究の方は熱心にやってきたわりに、竹内敏晴研究のほうはさっぱりみたいです(笑)
    今野さんが、竹内敏晴にいろいろな角度から照明を当ててくれているので、私も勝手を書かせてもらうのが楽しくなっています。
    次回のお話も楽しみにしています。
    どうぞよろしくお願いします。

    ばん

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