今野哲男さんの「竹内さんと『歎異抄』」を拝見して。


今野さま



『経験は物語られることによって初めて経験へと転生を遂げる』本当にその通りだと実感しています。自身のブログを書くことで、これまで過ごしてきた人生が、全く異なる意味合いを持って見えてくる。そして最近では、私という一つの独自な生き方=小世界に足を着けて、時代の動きをからだで受け取りつつ、新たに言葉を紡ぎ始めています。文章を書くことを大の苦手とする、私の以前からの頑なな思いが解けて、むしろ書くことが楽しくなってきています。相変わらず、えらく骨の折れる作業ではありますが。



さて、今野さんの書かれた「竹内さんと『歎異抄』」を拝見し、思い浮かんだところを、ざっくばらんに書かせていただきます。



私の場合は、チェーホフの『熊』をからこと教室の発表会で上演した時のことです。スミルノーフ(中年の地主)の役を私は舞台で演じました。その時の竹内敏晴からの指示は、本番直前のことかと思いますが「床を踏んでズカズカ歩き回りながらセリフを語る」というものでした。愚直というか馬鹿の一つ覚えというか、演技などチンプンカンプンの私は、そのこと一つをもって本番に臨みました。



ライヒ館(小劇場)は私が舞台に登場するなり、爆笑の渦となりました。私はと言えば、笑いを狙って演技をしているわけではありません。ひたすらドタバタと床を蹴飛ばし、セリフが飛ぼうが詰まろうが、ズカズカ歩きまわり、ことばを吐き出し、じっとしている間がない。からだは風船のようです。からだに空気が流れ込んで、それがパンパンになって破れると場内爆笑。私も楽しくてたまらない。またまた空気が満ちてきて爆発。その繰り返しでした。『熊』は50分くらいの小品、登場人物3名の喜劇です。



舞台を終えて竹内からの一言は、笑いを噛み殺しながら「ちゃんとセリフを覚えなきゃだめだ!」。実際半分くらいはプロンプター頼り。それも観客の笑いを誘った理由だと思うのですが、私は相手役だけでなく、プロンプターまでひっかき回していたようです。



結果から言えば、何が在ろうとどうなろうとお構いなしに、舞台の上をズカズカと歩き回りセリフを吠えながら、ポポーヴァ(未亡人の女地主)を口説き落とさんとする姿が、尋常ではなかったのでしょう。『熊』ですね!



これを芝居と言っては、専門の役者に怒られそうですが、それでも私はこの芝居の中で「ことば」の成立を体験しました。



もう前後の流れは忘れましたが「衣擦れの音」というセリフを口にした瞬間です。西洋窓に風を受けて揺れるカーテンが、目の前に見えたのです。私の中から誰にも見せたことのないような、私のものとは思えないような、濃厚な色気がうっとりとあふれ出して、その光景を結んだのです。とうぜん場内割れんばかりの大爆笑!



前置きが長くなりましたが、舞台上で、思い掛けないような光景が実際に見えてくる。そこに、相手役や観客を飲み込むような、演技者個人の日常を超えた存在が立ち現れてくる。これが竹内敏晴の指導する舞台の特徴だと思います。おそらく「能」が本来になっていた分野だと思うのですが。憑依ですね。



私自身の体験だけではなく、このほかにも舞台で世界が見えてくる体験は、他の役者はもちろん、レッスンの中で参加者が宮沢賢治童話を朗読する過程にも起こります。



「ことばが観える」とでもしか言いようのない事実なのですが、私が「からだとことばのレッスン」を実践研究していく上で、これが一つの目標になっていました。



けれども、自分が体験したからと言って、それを指導する側に回った時、どうしたらそれが成り立つか、全くわかりませんでした。何故そんなことが成り立つのか。どうやったら「ことば」が観えてくるのか。



私にとってレッスンをすると言うことは舞台上演も含めて、それを始めたときから現在に至るまで「自分が出来るからやる」ものではありませんでした。また竹内レッスンを「自分が分かっているからやる」でもないのです。



もし分かっていることが在るとすれば、竹内と同じようなレッスンや演劇を、誰かほかの人がしている場に身を置いたときに「これは何か違うぞ!」という、漠然とした違和感を無視することが出来なかったことです。



これは言葉で説明できない感じなのでなんとも困るのですが、結局竹内演劇研究所解散のあとも、私はライヒ館に籠って一人黙々とレッスンを続けるしかありませんでした。自分がやっているレッスン対しても「これは何か違うぞ」を繰り返しながら。



竹内演劇研究所での体験を承けて、長年月レッスンを続けてきましたが、「これで良し!」は最近まで一度もありませんでした。その「良し!」も、ふつうに言う「良し悪し」とは異なるもので、言葉にし辛いのですが。



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親鸞さんと言えば浄土真宗ですが、私は真宗発祥の「内観」という修養法を受けたことが在ります。もともとは「みしらべ(身調べ)」という一部の真宗信者の間で行われていた修行法を、吉本伊信さんが宗教色を無くして心身の修養法として一般化したものです。



まる一週間、屏風に囲まれた畳半畳に籠り、「母にしてもらったこと」「母にして返したこと」「母に迷惑かけたこと」を自分の内面に問い続けます。自らの中に住まう母=阿弥陀仏ということなのでしょう。その慈悲を本当に知るための修行なのだと思いますが、まるで禅の修行のようでもあります。この場合の集中とは、内面の混沌にひたすら注意を指し向けつづけることですから。



さて、その時に狭い空間の中、目と鼻の先、屏風に貼られていたのが「二河白道(にがびゃくどう)」の図絵でした。

【二河白道図絵は、こちらでご覧いただけます】


陸地(此岸)から幅15㎝ほどの白道が彼岸(浄土)に向かって伸びています。白道の両側には水(貪欲)の河と火(瞋恚)の河とが沸き立ち踊っています。竹内風に言えば、情念の荒れ狂う中に一筋の道を見出す。更に言えば、そこにこそ真の道は在ると言うことでもあります。



竹内はこの白道を渡り切った稀有の人と今では思います。火と水に襲われ揉まれながらも、決して白道を踏み外すことはなかった。なまじの宗教者では敵わない境地を、鎌倉時代ではなくこの現代の中で、竹内は歩み切ったのではないでしょうか。



反対から言えば、真の道は平静の中ではなく、このような情念のうず巻く中にしかないとも取れます。あえてその道を選んだ、竹内の「からだ」(=「いのち」)への信頼感の凄さを思います。『卯の毛羊の毛の先にいる塵ばかりも作る罪の、宿業にあらずということなしと知るべし』を手にかざしながら白道をひたむきに歩んでいたのですね。



ちなみに私は、当時この図絵を一目見ただけで臆してしまい、これはとっても無理だと思いました。今振り返れば、私の場合は幅5メートルくらいの白道を歩いてきたみたいです(笑)



竹内敏晴は、信(浄土門)禅(聖道門)を超えたところを歩んでいたとも思えます。ただし私も『聖道の慈悲というは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。』これは、その通りのことと思います。



ここには「自分」が相手を救うものであるという、大変一般的な傲慢さ(世の慈善家はほとんどこれ)が出てきやすいところですね。「こんなに慈悲を与えてやっているのに変わらないのは、お前が悪い!」と、最後は相手のせいにして、脅しつけたり貶めたり支配したり。



こういう意味での、他者へのサービスは一切しないのが、竹内敏晴だったと思います。でも教室への参加者は、当人は無意識にしても竹内に救いを求めてくるようなところもありましたから、「竹内は自分の求めに対しては、何にもしてくれないではないか!」「なんだか訳のわからないところに引っ張りこむばかりで!」「なんで逃げ出すんだ!」というような思いを持った人もいたかもしれません。そして「裏切り」「不人情」と決めつけて、自分を守る。



まあ私なども、竹内演劇研究解散(1988年)の時に、東京に「置いてけぼり」を食らった一人ですが、その後もズルズルと竹内に身近な世界に浸っていたならば、今頃どうなっていたか、冷や汗ものです(笑)おかげさまで今あることが出来ていると思っています。 



『あざとい言い方をすれば、レッスンの場で生じた人間関係、確執、あるいは情緒などは、終わったものとしてその場でいったん断ち切り、いつも新しく前に進もうとしていたということです。』竹内敏晴の立ち位置は「いまここ」です。意識してのことかどうかは分かりませんが、竹内は「いまここ」に立ち尽くすしかできない愚か者だったのではないでしょうか。「愚禿」ですね。そうしなければ生きていくことが出来ない。「殺されてたまるか!」竹内の言葉ですが、「いまここ」を逸れれば、殺されてしまう。



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私の内観体験の話を続けますと、吉本伊信さんに励まされながら、襖の中で自分の内面への問いかけ(集中)を続けた結果、自分が子供の頃、私に背を向けて母が台所で水仕事をしていた光景が浮かび上がってきました。なにか頭で想像した世界とは異なり、その世界が実体感を帯びて観えてくる。テレビのように世界を外(客席)から見るのではなく、私の意識はその世界の中を泳ぐ、或いはその世界全体が視野=意識という感じです。



これも、舞台でスミルノーフを演じた体験と非常に近い印象があります。なにか(自分の実体感?)がばっと破れて、光景と共に忘れ去っていた母への情愛があふれ流れ出してくる。私は、坐禅でも似たような体験をしました。



そこからの考えですが、竹内敏晴の実践とそれを受けた者たちの体験は、仏教の忘我体験などに照らしてみないと、説明がつかないようにも思っています。



「『歎異抄』に照らして竹内敏晴を読む」とか、「『正法眼蔵』に照らして竹内敏晴を読む」などと言うのも面白いかもしれません。



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なんとも、ざっくばらんな文章になりましたが、本日はこれにて失礼します。



瀬戸嶋 充・ばん

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