「そのうちに、私は皮膚の内側だけが私であるとは考えなくなった。知覚世界が私になった。私は知覚世界まで拡大した。視覚や聴覚も触覚と同じように「触れる」事になった。
駅のホームの向こう側にいる人を見ると、視覚でその人に触れている。と同時に、私のからだはふくらんだり、ちぢんだりしている。
木の緑を見ると、ホッと息をついて、からだはゆるんでいる。陽の光を浴びると、ポカポカしてからだはひろがっている。
知覚はそのままからだの変化である。次々刻々、知覚世界が変わるにつれて、からだもふくらんだり、かたまったり、ゆれたり、痛んだりしている。渾沌を私のからだが切り取り、からだの変化として近くを成り立たせている。
また、行動したり、人に「働きけて」いる時には、行動や「働きかけ」が私になった。私が「働きかけ」ているのではない。私が「働きかけ」ていうと意識できるのは、行為が終わってからか、行為の途中に過ぎない。行為の始まりには、そしてその中核には、「働きかけ」だけが存在する。
やがて、記憶とか「考えている」とか「想像する」とか「思い浮かべる」とかも分化してきた。
外界を知覚している状態がベースにあって、そこに記憶が入り込んできた。公園を草や木や空を見ながら散歩している。陽の光があたって気持ちがいい。からだを意識する。ほぐれている。楽に息がつける。からだ全体を意識して歩いてみる。足の裏に全身の重みを感じながら、からだ全身を意識してあるいてみる。周りの風景はクッキリしている。
と、そこへ記憶が潜入してくる。何日が前にあったことが不意に出てくる。喜びや痛みが伴っている場合もあるし、恥ずかしさで立ち止まる時もある。ある出来事を思い浮かべている。人の顔も浮かんでいる。
その瞬間には、それが現実である。その一瞬前の木や草を見ていた時の方が、よりリアル=現実的であるとは言えない。実際に、人の表情がリアルに浮かび上がってるrし、声が聞こえて立ち止まったり、感情をゆすぶられる。
「考えている」時の状態を記述するのは難しい。考えている時はまさに「考えている」のであって、そのことを意識したり、特別に注意を向けたりしていない。意識したり、注意を向けたりすると、「考えている」のと別の行動になってしまう。しかし、「考えている」状態が過ぎた後では、あの時は「考えている」状態であったと区別できる。
世界がその時知覚できるものだけになったので、極端に狭いものになってしまった。しかし、さみしさは感じなかった。世界は皆私と関係があるものだった。私は確実に存在していることを感じていた。そこへ、記憶や知識が想像力などが加わってきた。
1980年に、2000年になったら地球がどのようになっているかについてのアメリカの国務省の報告書が出た。
その報告は、近いうちに今後20年間に世界人口が1・5倍になる。森林の30%がなくなる。動物の20万~30万種が絶滅するetcというものであった。
これらの報告は私にショックを与えた。私のからだに直接ショックを与えたのだ。」
ハイデッガ―の、「惑星思考」ということばをが浮かんでくる。
ダマジオのいう「拡張意識」が中核意識に加わってきた。
駅のホームの向こう側にいる人を見ると、視覚でその人に触れている。と同時に、私のからだはふくらんだり、ちぢんだりしている。
木の緑を見ると、ホッと息をついて、からだはゆるんでいる。陽の光を浴びると、ポカポカしてからだはひろがっている。
知覚はそのままからだの変化である。次々刻々、知覚世界が変わるにつれて、からだもふくらんだり、かたまったり、ゆれたり、痛んだりしている。渾沌を私のからだが切り取り、からだの変化として近くを成り立たせている。
また、行動したり、人に「働きけて」いる時には、行動や「働きかけ」が私になった。私が「働きかけ」ているのではない。私が「働きかけ」ていうと意識できるのは、行為が終わってからか、行為の途中に過ぎない。行為の始まりには、そしてその中核には、「働きかけ」だけが存在する。
やがて、記憶とか「考えている」とか「想像する」とか「思い浮かべる」とかも分化してきた。
外界を知覚している状態がベースにあって、そこに記憶が入り込んできた。公園を草や木や空を見ながら散歩している。陽の光があたって気持ちがいい。からだを意識する。ほぐれている。楽に息がつける。からだ全体を意識して歩いてみる。足の裏に全身の重みを感じながら、からだ全身を意識してあるいてみる。周りの風景はクッキリしている。
と、そこへ記憶が潜入してくる。何日が前にあったことが不意に出てくる。喜びや痛みが伴っている場合もあるし、恥ずかしさで立ち止まる時もある。ある出来事を思い浮かべている。人の顔も浮かんでいる。
その瞬間には、それが現実である。その一瞬前の木や草を見ていた時の方が、よりリアル=現実的であるとは言えない。実際に、人の表情がリアルに浮かび上がってるrし、声が聞こえて立ち止まったり、感情をゆすぶられる。
「考えている」時の状態を記述するのは難しい。考えている時はまさに「考えている」のであって、そのことを意識したり、特別に注意を向けたりしていない。意識したり、注意を向けたりすると、「考えている」のと別の行動になってしまう。しかし、「考えている」状態が過ぎた後では、あの時は「考えている」状態であったと区別できる。
世界がその時知覚できるものだけになったので、極端に狭いものになってしまった。しかし、さみしさは感じなかった。世界は皆私と関係があるものだった。私は確実に存在していることを感じていた。そこへ、記憶や知識が想像力などが加わってきた。
1980年に、2000年になったら地球がどのようになっているかについてのアメリカの国務省の報告書が出た。
その報告は、近いうちに今後20年間に世界人口が1・5倍になる。森林の30%がなくなる。動物の20万~30万種が絶滅するetcというものであった。
これらの報告は私にショックを与えた。私のからだに直接ショックを与えたのだ。」
ハイデッガ―の、「惑星思考」ということばをが浮かんでくる。
ダマジオのいう「拡張意識」が中核意識に加わってきた。
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