竹内敏晴さんとのレッスンで私に起こった変容 3

 「さて、1981年の後半から1982年にかけて、私は再びまわりの世界の見え方、外界の知覚の仕方の変化を体験した。

 それは、私がその時現に知覚している世界以外の世界がなくなってしまったことである。それは視覚を中心にして起こった。
 例えば、からだの前面には視野が広がっている。いろいろなものが見える。自分のからだの一部分さえも見える。
 しかし、そのままの姿勢では後ろは見えない。その見えない部分が真っ暗になってしまう。見えるところ以外の世界がなくなってしまう。

 それ以前には、わたしがその時後ろを見ようと見まいと、同じ世界が何時も存在していると思っていた。誰にとっても同じように見える地球儀の上に、私もいて、他の人もいて、木や草もある。その地球儀から私をとっても、残りの世界はそのまま存在する、そういう風に思っていた。

 後ろを振り向くと、後ろに世界は存在した。しかし、前の世界はなくなった。知覚しているところだけが世界になった。
 私の眼はサーチライトの様になり、光に照らし出された所だけに世界が存在し、それ以外は暗黒になった。真っ暗闇を提灯をもって移動しているようなもので、動いている私のまわりにだけ世界は存在した。

 しかも、見えている表面だけしか存在しなくなった。例えば、部屋にいて天井を見ているとすると、天井までしか世界がなくなる。天井裏があることは分かっている。二階があり、人が住んでいることも知っている。しかし、それは知識や記憶に過ぎない。その時にあるのは、見えている、知覚できる表面だけであり、その向こう側に世界はなくなり、真っ暗になっている。

 部屋から外へ出て、海に行ったとする。遠くまで見えるし、広々として気持ちがいい。視野が広がった気がする。しかし、「知覚の牢獄」に囚われていることについては同じである。」

 この私のレッスンによる「変容」についての2,3の記録は、1980年から1982年に私に起こったことである。これらの変容をどのように捉えればいいのか?

 哲学者のマルティン・ハイデッガーが「世界内存在」として言っているようなことなのか?

 神経科学者ダマジオの言う、「感覚的で、『今・ここ』での意識である中核意識」にあたるのか?(「ソマティック心理学」久保隆司P96」)

 

 




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