「いまここ」に立ち「いのち」のあらわれに耳を澄ます

 「いまここ」に立ち「いのち」のあらわれに耳を澄ます

 「からだとことばといのちのレッスン」の成立する場は「いまここ」である。

  例えば何かを見るとき。「これは木だ」「これは水だ」「これは草だ」「あれは人だ」「これは女だ」「これは男だ」「あれは誰それだ」などなど、一瞬ではあるが、私たちは目に入ったものが何であるかを頭の中で考え、眼に見えたものを区別している。

  聞くことも同じだ。「風の吹く音だ」「虫の声だ」「鳥の囀りだ」「自動車の騒音だ」「川のせせらぎだ」などなど、私たちは頭の中に納められた過去の体験(記憶)をたどって、それに相応しい名前を充(あ)てている。

 今現在、目の前に起きている出来事を理解しようとするとき、私たちは五感でとらえた体験を、一瞬のことではあるが、必ず頭脳にある過去の記憶に照らしてその意味を考え出しているのだ。(実は未来を思い描くのも同様の作業である。過去の体験の組みなおしによって、描かれるのが未来である。未来を描くことも、意識が過去に向かうという意味では同様のことである)

 ここで注意したいのは、理解が成り立つためには、それが一瞬であれ、僅かに時間が掛かることである。目の前で起きていることを眼でとらえ、その意味が分かるまでには、脳の働きを待たなくてはならない。眼に入ったものごとが意識されるのは、僅かな時間を措いてのちに成り立つのである。私たちの認識は体験から僅かに遅れて成立するのである。私たちが見ていると思っているのは、過去の出来事となる。現実の方が僅かに先を走っているのである。私たちが現実と感じとり見ているものは、厳密には現実から切り取られた断片をもとに、脳の描いた過去の虚像なのである。

 それだけではなく、脳の働いている瞬間、私たちの注意(意識)は対象を離れて自分の中(頭脳)に向かう。五感の対象であった現実から意識が離れ、一瞬ではあるが、目の前の対象は消えてしまうのだ。私たちの対象への意識集中は、実は途切れとぎれの、フィルムのコマ送りである。

 「いまここ」は、現在の体験を、「ある時ある所で」というような、過去に照らして意味づけしようとする脳の働きの介入を許さない。「いまここ」とはいまその時々に私と対象との中に交流(交感)し合い息づいている、途切れることのない「いのち」のあらわれである。「いのち」が自ずより活躍する場なのである。

 それでは、過去にとらわれずに、「いまここ」に立つにはどうしたらよいか。意識が頭脳に囚われる瞬間、それ以前に行動を起こすことである。そしてそこに現れる「いのち」の働きに我が身をゆだねることである。

 「自分に話しかけられたと感じたらパッと(その瞬間に)手を挙げてください」これは「竹内からだとことばのレッスン」の中で代表的な、「話しかけのレッスン」。その始めに語られる言葉である。5~6名の人が床に座り、ひとりの人がそのうちの1人に向かって短い言葉で話しかける。自分に話しかけられたようだと手を挙げた人がいれば、話しかけられたその時にはどんな体験があったのかを聞いてみる。それ以外の人にも、彼が話しかけた瞬間を振り返り、その時の体験を話してもらう。

 実際にやってみると「自分に話しかけられた」とサッと手を挙げる人は先ずいない。一人一人の体験を尋ねてみると「声が手前に落ちた」「あっちの方の誰かに話しているようだ」「自分に話しかけているような気はするが、はっきりとそうだとは言い切れない」「私とは関係ない人に話している」等々、声の軌跡(光跡)が目に見えてくる。声が聞こえるだけではなく、声が見えるのである。

 ここでは、「こえ」自体が「いのち」の現れである。そこに見えてくるのは、話しかける者の「いのち」が、聞く者の「いのち」との合一(出会い)を求めて、「いまここ」にその働きをあらわにしている。分断された「いのち」は元来の「ひとつ」であることを求める。

 「話しかけのレッスン」の中で体験される届かぬ声とは、「いのち」のあらわれに対してそれを妨げる自我のあり様を、その瞬間にあらわにする。「いのち」を私物化し、それを自我の管理下に取り込もうとする意志と、「いのち」の持つ自発性との葛藤が、その瞬間の中=「いまここ」に浮かび上がってくるのである。

 レッスンの中で、「話しかける」という行為は、じつは「いのち」から「いのち」への呼びかけである。それが私たちを「いまここ」へと誘(いざな)う道を劈くのである。(のちに竹内敏晴はそれまでの「話しかけのレッスン」という呼称を「呼びかけのレッスン」へと変更した。竹内もこんな思いを持ったのかも知れない)

 「いのち」は止(とど)まることのない「はたらき」である。その働きが私たちを捉え行動を促す。自己や種の生存に費やされていた力(エネルギー)は、再び「いのち」として解放され、ひとつの「いのち」へと還っていく。自我意識によって囚われ閉ざされた自己は、互いに互いを生かしあう自由の中に生きはじめる。ひとつの「いのち」とそこから生まれる、多種多様な一人一人の「あらわれ」は、春を迎えた草花たち、その一木一草の一つ一つの「いのち」の、まるであらかじめの約束に従うように、個々であることの鮮やかさを曇らすことなくひと時に咲き誇る、ひとつの「いのち」となる。「さきはふ」のである。

 これらは、非常に矛盾を孕んだ物言いと思われるかもしれない。しかしながら「いまここ」つまり「いのち」の働く場とそこでのあらわれに矛盾はない。そこに矛盾を見るのは、私たちの思念の側が矛盾を孕んでいるからに過ぎない。

 不思議という。「思い計らえず」と読むならば、不思議という言葉は、思い計らうことのできない存在のあることを認めることになる。不思議とは、分からない理解できないという表白ではない。思い計らえないものの側から、自分が問われることなのだ。これが「からだとことばといのちのレッスン」の不思議であり、一般向けにその意味を伝えようとすることの困難なところである。私たちはすべてが思議可能なもの、自意識で把握(思い計らう)のできないものは存在しないと、いつの間にか思わされてしまっているからである。

 思い計らうことによっては把握ができないのが「いのち」であり、その働きの現れる場が「いまここ」である。そして「いのち」の側からの働きかけに「からだ」を委ね、「いのち」の語る「ことば」によって、わが身は劈(ひら)かれる。「からだとことばといのちのレッスン」の目指すところである。

 瀬戸嶋 充・ばん

《付記》私は、竹内敏晴「からだとことばのレッスン」の実践と研究を続けてきた。竹内敏晴は「呼びかけ(話しかけ:旧称)のレッスン」のほかにも、「からだ揺らし(ほぐし:旧称)のレッスン」「出会いのレッスン」「砂浜のレッスン」「声とことばのレッスン」等々、「からだ」と「ことば」へのアプローチの形を残してくれた。その継承を目指して長年歩んできた私の中で、今では「何か」が変容しつつあるようである。そこで「からだとことばといのちのレッスン」へと名称を変えていきたいと思う。けれどもどのレッスンも名称や、やり方に関わらず、その根本に在るのは竹内の遺した「いのち」によって『劈かれる』ことだと、私は思っている。

    *    *    *

 私が竹内演劇研究所で過ごしたのは、1981年秋から1988年春です。からだとことばの教室の研究生として2年半、研究所スタッフとして4年間、合計6年半を竹内敏晴に付いて学びました。

 学んだといってもその実は、竹内レッスンに参加することの喜びに、夢中になって浸っていただけです。竹内演劇研究所が何を目指している場なのかを考えたことすらなかったように思います。水をえた魚という譬えそのままに、竹内敏晴の提供するレッスンの場を、のびのびと楽しんでいた6年半でした。

 その後、私は人間と演劇研究所を立上げました。竹内敏晴を離れ、一人でレッスンを続けてきました。竹内演劇研究所時代、知らぬ間に竹内敏晴から宿題を受け取っていたのだと思います。人間と演劇研究所の創設から、来年で30年。宿題を解くために一人黙々と活動を続けてきてしまいました。(自分の思いや意志以前に「しまいました。」のです)

 最近になってようやく宿題が解け始め、レッスンが私の個性に応じたものへと変わってきているようです。竹内敏晴は「意志」の人。切り劈いていくのが彼の個性でした。私の個性は「待ち」だと思っています。待つことで劈かれてくるものがある。

 以前、何かの折に竹内に話しをしました。「石橋を叩いて渡る」というけれど、私は「石橋を叩いても渡らない」者のようだと。そのあとの話は忘れましたが、いま思えば「石橋を叩き壊して渡る」というのが、竹内演劇研究所で竹内のやっていたことのように思われてきます。

 当時の竹内の言葉に「殺されてたまるか!」がありました。最近、私がレッスンの最中に思いがけずに発したのが「あんた俺を殺す気か!」。似たり寄ったりの言葉に思われるかもしれませんが、そこには、明らかに個性の、或いはスタンスの違いがあるようです。どちらも「いのち」が直に発する言葉であることは間違いないことですが。

    *    *    *

 レッスンの成立を目指して実践のみで歩いてきました。言葉にすることをせずに来ました。実践だけでは、自分の考えと向かい合うことが出来ないと思い、ここ二年ほど文章修行のつもりで、ブログを書いています。この投稿の前半はブログからの転載です。興味を持っていただけた方がいらっしゃれば、人間と演劇研究所ブログ http://karadazerohonpo.blog11.fc2.com/ を合わせてご参照ください。(瀬戸嶋・ばん)

コメント