私は1976年6月にレッスンに初めて参加しました。そして、1979年の秋から竹内演劇研究所の「からだとことばの教室」でレッスンをやるようになりました。この間にそれまでやっていた仕事を辞めました。このレッスンをやるようになった期間も、自分にとってのレッスンでした。
1983年の春に、もうこれ以上ここでやることはないと思い研究所を辞め、それまでのレッスンをことばにする作業を始めました。
ほかのことはすべてやめて、レッスンで体験したことのところまで戻り、その体験から身を引き剝がし、体験に向かい合い、それをことばにしていく。はっきり体験したことは、はっきりことばになる。そうでないことは、なかなかことばにできない。あるいは記憶に残っていない。
はっきりことばにできたことは、砂地に字を書くようなもので、それを書くと、自分の中の何か滞っていたものが消えていくような、透明になっていくような感じを持ちました。
結局この作業は1年と3か月もかかってしまいました。
最近、この記録を久しぶりに読んでみて、自分でも驚きました。一つ一つの体験がくっきりしており、レッスンで毎回新しい体験をしていたようです。そして、その体験は展開を持ったもののように思われます。これは、からだのリラクゼーションの進み具合、想像力の広がりと深まり、内発的な動きに従うことで、からだが自由に様々に動くようになること、人に対するときの関係の持ち方が変わることなど様々な側面があります。これらは一度丁寧に振り返る必要がありますが、今はここまでにします。
竹内さんとのレッスンで起こった自分の存在のありようの根底的変容について、前の記録からいくつか取り上げてみます。
「1980年3月の発表会で…、午後の一時頃からけいこを始めていた。すると、7,8時間稽古を続けていると、いろいろな着想が次から次へと湧いてきて、それがそのまま行為=働きかけになるいるという状態を体験した。思った瞬間に行動=働きかけとして生成している。こういうときには吃らない。・・・・・・けいこを長時間続けているうちに、演技者とそこで起こっている事柄だけが世界であり、私はなくなっていた。私は時々演技者に対する働きかけとしてだけ存在した。」
「この発表会のあと、2,3カ月以内のことだと思うが、私は新宿駅近くの道を歩いていて、遠くまで見渡せることに気がついた。近くのものと遠くのものが遠近をもって一挙に見渡せる。また、地下道を歩いていて、大勢の人とすれ違うが、私と関係のないボーとしたものが立って動いているように感じられた。少し薄暗い海底のように感じられるところに質量と立体感のある個体が動いていて、私とは関係がない。私はそれらの間を自由に解放感を感じながら歩いていた。」
「また、レッスンの途中で、ある人やものを注視すると、そのものだけが浮かび上ってくっきりと見え、まわりはボヤケて背景になりほとんど見えなくなるようになってきた。」
「1981年の1月頃、新宿駅西口公園まで走って行って体操したり、一人で芝居のけいこをしていた。公園の中を歩いていると、緑がやたらと目につく。植込みの緑がかたまりとなって迫ってきて、目の前にボーと現れる。また、陽の光を浴びて歩いている時に、ある瞬間、見ている世界の形や輪郭がくずれ、光だけがキラキラして、印象派の画家が描く絵のように周囲が見えたりした。
何の変哲もない、普段よく見知っている道が、突然違う風に見えてきたリ、日によって世界の見え方が大きく変わってきた。それまでの私は、世界は安定していて変わることなくつまらないものであったので、こんな風に違って見えたり、感じられたりするのは驚きであった。」
1983年の春に、もうこれ以上ここでやることはないと思い研究所を辞め、それまでのレッスンをことばにする作業を始めました。
ほかのことはすべてやめて、レッスンで体験したことのところまで戻り、その体験から身を引き剝がし、体験に向かい合い、それをことばにしていく。はっきり体験したことは、はっきりことばになる。そうでないことは、なかなかことばにできない。あるいは記憶に残っていない。
はっきりことばにできたことは、砂地に字を書くようなもので、それを書くと、自分の中の何か滞っていたものが消えていくような、透明になっていくような感じを持ちました。
結局この作業は1年と3か月もかかってしまいました。
最近、この記録を久しぶりに読んでみて、自分でも驚きました。一つ一つの体験がくっきりしており、レッスンで毎回新しい体験をしていたようです。そして、その体験は展開を持ったもののように思われます。これは、からだのリラクゼーションの進み具合、想像力の広がりと深まり、内発的な動きに従うことで、からだが自由に様々に動くようになること、人に対するときの関係の持ち方が変わることなど様々な側面があります。これらは一度丁寧に振り返る必要がありますが、今はここまでにします。
竹内さんとのレッスンで起こった自分の存在のありようの根底的変容について、前の記録からいくつか取り上げてみます。
「1980年3月の発表会で…、午後の一時頃からけいこを始めていた。すると、7,8時間稽古を続けていると、いろいろな着想が次から次へと湧いてきて、それがそのまま行為=働きかけになるいるという状態を体験した。思った瞬間に行動=働きかけとして生成している。こういうときには吃らない。・・・・・・けいこを長時間続けているうちに、演技者とそこで起こっている事柄だけが世界であり、私はなくなっていた。私は時々演技者に対する働きかけとしてだけ存在した。」
「この発表会のあと、2,3カ月以内のことだと思うが、私は新宿駅近くの道を歩いていて、遠くまで見渡せることに気がついた。近くのものと遠くのものが遠近をもって一挙に見渡せる。また、地下道を歩いていて、大勢の人とすれ違うが、私と関係のないボーとしたものが立って動いているように感じられた。少し薄暗い海底のように感じられるところに質量と立体感のある個体が動いていて、私とは関係がない。私はそれらの間を自由に解放感を感じながら歩いていた。」
「また、レッスンの途中で、ある人やものを注視すると、そのものだけが浮かび上ってくっきりと見え、まわりはボヤケて背景になりほとんど見えなくなるようになってきた。」
「1981年の1月頃、新宿駅西口公園まで走って行って体操したり、一人で芝居のけいこをしていた。公園の中を歩いていると、緑がやたらと目につく。植込みの緑がかたまりとなって迫ってきて、目の前にボーと現れる。また、陽の光を浴びて歩いている時に、ある瞬間、見ている世界の形や輪郭がくずれ、光だけがキラキラして、印象派の画家が描く絵のように周囲が見えたりした。
何の変哲もない、普段よく見知っている道が、突然違う風に見えてきたリ、日によって世界の見え方が大きく変わってきた。それまでの私は、世界は安定していて変わることなくつまらないものであったので、こんな風に違って見えたり、感じられたりするのは驚きであった。」
コメント
コメントを投稿